外のベンチではケラケラ笑う女子高生たち。
中を覗くと手前の席のベンチには大量のカバン…
約25年振りの来店。
大人二人の姿にキョトンとされる。
「こんにちはー。誰かわかる?」
更にキョトンとされる。
「めーぐーだよー。はまもとの」
「えーーーー!大人になってるー。センパイ、元気ねーー?前はよくスーパーで会いよったんだけどさー」
と、25年会ってないとは思えない距離感。
それが店主のみっちおばさん(伊波さん)の魅力。
わたしが子どもの頃からあるきちじょうじは嘉手納小学校の目の前にある。
母のソフトボール部の後輩の伊波さんには、本当に昔からお世話になっている。
子どもの頃からお店に行く度、「センパイ、元気ね?」と聞かれていた。
母をセンパイと呼ぶ唯一のお方、きちじょうじの伊波さん。
先輩のことを「センパイ」と呼ぶことはここで学んだ。
エイサーや町祭り、町陸上など、地域の行事には先頭切って色々とやってくれている方だったので、いっつも何かとお世話になっていた。
わたしたちが子どもの頃は小さい商店がまだまだたくさんあった嘉手納町。
うちの近くには源河商店、徳里商店があって、そして少し離れたきちじょうじがお小遣いもらうとお菓子を買いに行くお店だった。
きちじょうじは商店にはないシャーベットとダンゴとかき氷があって、100円以上のお小遣いが貯まったら行けるお店だった。
当時は学校の運動場の一角にたくさんの遊具があって、よくそこに遊びに行っていた。
滑り台から落ちて大泣きして帰ったり、弟がお漏らしして急いで連れて帰ったり…
今でも思い出せる事がいくつかある程に小さい頃から遊んでいた。
その帰りに寄るきちじょうじが楽しみだった。
シャーベットを2つ買って4兄弟でわけるのが常。
自分のお小遣いで1つ食べた時の嬉しさは、至高だった。
小学校の頃は学校帰りには寄れないので、夏休みの部活が終わって、一度帰ってから行くというルーティーンがあったりもして。
当時から嘉手納小学校、中学校の子どもたちでいつも溢れているお店だった。
お金の使い方はここで覚えた。
25年経っても変わらず、子どもの字で書かれたメニュー表にシャーベットとダンゴとぜんざいの文字は並んでいたし、みんなが好きで、あったらラッキーだったチョコケーキもあの頃と変わらずに並んでいた。
吉祥寺。
わたしたちは小学校に上がる前から「吉祥寺」という言葉を知っていた。
店主の伊波さんが「東京に吉祥寺ってオシャレな場所があるんだよー」と話してくれたことがある。
吉祥寺。東京と沖縄ではイントネーションが違った。
わたしは東京に来て、早い段階で吉祥寺に立ち寄った。子どもの頃から刷り込まれた親近感。
きちじょうじ。
今じゃ、どこでも見なくなったシャーベット。
緑がスタンダードでたまにオレンジ。
一番下の弟はシャーベットが大好きで「緑」色が一番好きな色だった。
きちじょうじに初めて来た夫はえーってなっていたけど、団子の串が割り箸。
あまじょっぱいちょっとしゃばいみたらしもあの頃と変わらないまま。
ぜんざいが美味しかったという記憶も、店内に貼られた浅田真央ちゃんの写真が蘇らせてくれた。
沖縄ぜんざいが好きだという浅田真央ちゃんが立ち寄ってくれて、写真も撮ってくれたそうです。
店主の伊波さん、興奮気味に来てくれた時のことを話してくれました。
伊波さんは地域住人周知の家族丸ごと野球とソフトボールの一家で旦那さんも地域の野球に尽力されている方。
「野球やってて、よかったよね。その縁で浅田真央ちゃん来たんだよ」と話されてて…
そこなの?と思ったけど…
やっぱり、野球の繋がりってどこに行っても凄い!笑
わたしも、徐々に野球界の狭さや広がりを認識しつつある今日この頃ですが…
世界の浅田真央をこんな小さな町のここに呼んじゃうんだから。パワーを感じずにはいられません。
ぜんざいにシロクマかける。トッピングという課金。全部ここで覚えた。
お店に伺ったときもそうであったように、立地的にも子どもたちに溢れる店内。
伊波さんは地域の子どもの成長を見守ってきた。
至る所に貼られた歴史感じるプリクラや、各部活の集合写真…。たくさんの子どもがここに通い、巣立っていったのであろう。
あの頃と変わらない子どもたちの笑い声に包まれる空間。
伊波さんもあの頃とまったく変わらないおしゃべり好きでニコニコした元気な姿でお店に立つ。
子どもたちの憩いの場として今もまだここにあり続ける。
■おやつショップ きちじょうじ
嘉手納町嘉手納308-3