~店主編
そして、本気で、野球。
やべーなの巻。
新潟には子どもの頃から縁があって、家族で訪れることも多かった。
米どころ、新潟。
サラダホープ、新潟。
花火パイ、新潟。
トライアウトをパスし、新潟に拠点を移す。
希望と期待を胸に歩み出す。
独立リーグ、アルビレックス新潟。
プロ野球選手とはいえ、学生バイトに毛が生えたような月給。
遊ぶお金も外食するお金もなかったことが一層「野球」に打ち込ませた。
弟を含む男3人部屋での生活。
三者三様の生活。
弟に「にーちゃんとずっとは生活できない」と漏らされるほど、丁寧な生活を20代前半男性の頃からしていた模様。。。笑
家と練習場所とジムを往復する生活。
ダルビッシュの球を打ち返す夢はそう簡単に叶わない。
時間という時間を全て野球に充てた。
誰よりも早く練習場所に入り、誰よりも遅く練習場所を出る。
オフの日は朝トレーニングして、家のことをして、駅前のスタバで本を読む。野球の情報を得る。
今でも野球ニュースの時間になるとすぐチャンネルを変えるし、スマホを覗くといつも野球の動画ばっかり見ている。
大谷やべーなとか言って何回も同じものを見ている。
そんなとーまさんを見て、この人ほんとやべーなって思っているサブ。
…時を戻そう🤚笑
そして、予想もしていなかった…
まさかまさかのスタメンとして開幕戦を迎えることになった。
練習を積んで積んで。。。
イメージを膨らませ。。。
チームメイトとのコミュニケーションをとり。。。
トライアウトを受けた日から開幕のその日まで、できる限りの事はしてきた。
いざという時に不安にならないために、そして、いつでも自信を持ってプレー出来るように練習量をこなしてきた。
開幕戦。
後にも先にもこれ以上はないほど緊張した。
初打席。
ツーベースヒット⚾⚾
バットにボールに当たった瞬間の緊張がほぐれた感覚と少しの安心感。
未だに思い出す。
後に、ソフトバンクホークスのピッチャーになるような選手からのツーベースヒット。
こっれからは~じまるアルビの物語 ずっと長く道は続くよ~みたいな空と胸が高なった。
二塁手として全力で努めて…
試合が終わった時には新潟に降り立って初めて「ほっ」とする自分を感じた。
アルビレックス新潟での「斗馬」のデビュー戦。
弟「隼人」と二遊間でフィールドに立った日。
打順が並ぶ日も増えて、「古市兄弟」が新聞に並ぶ日も多かったご様子。。。
今でも古市母が断捨離のタイミングに当時の切り抜きを送ってきてくれる笑
親としてはとても嬉しかっただろうなって思う。
そこから半年。
2008年、アルビレックス新潟、前期リーグ優勝。
たくさんの人の応援と、チームメイトの努力。そして自分が積んできた練習量。
優勝が決まった瞬間、心に押されて身体が浮き上がった。
ここまで飛び跳ねたのはいつぶりだろう。。。
次に飛び跳ねるのは「おきなわいちば」に掲載が決まった時になる。
(予定。笑)
独立リーグを詳しく知らなかったサブが話を聞いたり、地元の新聞記事を見てて思うのは、地域に応援されるプロ野球チームの温かさ、やべーなってこと。
試合だけじゃなく、練習日に差し入れ持って見に来てくれるファンもたくさんいて、練習後のフリータイムの鬼ごっこを楽しみにしている子どもたちがいたり、キッズスクールを楽しみにしてくれている子どもたちがいて、写真撮ってー、サインちょーだいとか言われて選手たちも喜んで応じて。「地域感」すごいなって。
1番衝撃的だったのは袋いっぱいに詰め込まれた入浴剤のプレゼント。少しでも鞭打つ身体を癒して欲しいという想いが詰まりすぎた差し入れ。
子どもたちには「今日おうちにご飯食べに来てよー」と無邪気に誘われたり、名残惜しそうに帰っていく姿を見せられたり。
東京生まれヒップホップ育ち~の店主に「地元」の温かさを教えてくれたのは新潟の人たちであることはきっと間違いなくて。
子どもの頃から無駄な責任感と負けず嫌いによって心の抑揚を失いかけていた店主に温度を与えてくれたのは新潟であることも間違いない。
後期リーグが始まった直後、右肘に違和感。。。
騙し騙し練習をしても試合に出れない日が少しずつ増えてきた頃、遂に動かなくなった右肘。。。
大谷選手と同じ手術をしないといけないことになった。
チームは待っていると言ってくれていた。
必ず戻ってきてとたくさんの励ましの言葉も頂いた。
その後の2008年後期のリーグ戦からは離脱し、手術とリバビリの生活が始まった。
その年のリーグ戦の締めくくりとして行われるファン感謝祭にも呼んでもらい、支えてくれたファンの方々と顔を合わせ、数え切れないありがたい言葉と想いを受け取り、再起を胸に新潟を後にした。
結局、その後2年ほど、まともにボールを投げることも出来なくて、野球選手として新潟に帰ることは出来なかった。
当時の心残りはやりきることができなかった「野球」に対するものだった。
野球から離れて色んな時間と経験と人付き合いを重ねた今は、たくさんの温かい応援に「恩返しが出来ていないこと」の心残りへと変わっている。
そして、それが今の活力になってることも揺るがない事実。
たった10ヶ月ほどの時間だったけど、濃厚という言葉では足りないほど中身の詰まった時間だった。
人生に必要なことはすべて新潟が教えてくれた。
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初めて新潟時代の写真を見た時、こんなに笑えるんだ!?とビックリした。笑
2021年春。
Androidと化した店主が「笑う」アプリがなくても笑えると分かったところで🙆♀️
濃密で熱かった時間を携えて。。。
次は野球ネタなしだな。笑
だけど、こうやって店主を盛り上げてくれた人たちのためにも!頑張らんとなーと改めて。
次回へ続く。。。