「とっとーは嘉手納町No.1の畑人になる」って子どもたちによく話してるんだけど、長男に「夢ちっちゃくね?俺の夢はプロのスポーツ選手になることだけど」って言われるんだよね。
夢を話してくれた又吉さんは嘉手納町で農家として歩んでいる。
「毎月のように皮膚科に行ってて。もともと肌は白いから紫外線にはすぐやられるし、肌も弱め。絶対に農業に向いていない体質。」と笑う。



ヤンキー社員、プー太郎になる。
82%を米軍基地として使用されている嘉手納町。残りの土地には住宅地や公共施設が並び、農耕地が目に見える場所は少ない。軍用地と住宅地の隙間で農作物を育てている人がいるということはなんとなく知ってはいたけど、どのような場所なのかは見たことがなかった。
案内された「またよしファーム」は道とも言えないような道を進み、対向車とはスペースを譲り合い、たまにマングースが走っていたりするような獣道…拓けた道の先にはいくつもの畑が広がっていた。
農家としての道を歩みだしたのは、まだまだコロナ禍だった2022年。
持ち前の話術を活かして、求人誌の営業をしていた又吉さんは、営業成績はいいけど常にどうやってサボるかを考える「ヤンキー社員」だった。⠀
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会社員は向いてないと思いながらも、家族ができ、生活をするための仕事として時間を過ごしながらもいつか自分で仕事をして生きていきたいということはずっと考えていた。⠀
コロナの蔓延により、社会活動、経済活動の抑制が余儀なくされていた頃、同僚の方々から「こんなご時世なのにボーナスもらえてラッキーだ」という言葉を聞いたとき「これってラッキーなのか…」と、もやっとした気持ちになった。
2人の子どもたちは毎日、小さな身体で大きなリュックサックを背負い、一生懸命に学校に通っている。
同じ時間軸で起こるこの差に疑問を持った又吉さんは、奥様に相談。
「会社辞めれば??折り合いつけて上手くやる性格でもないでしょ!やりたいこと、やったらいいさ。どうにかなるでしょ!」
奥様が3人目を妊娠していた頃のこと。
「俺の性格よくわかってるよねー。」
やっぱり歩み出せる人には支えてくれる人がいることを確信する。
そして、堂々とプー太郎になる。
不安がなかったといえば嘘になるけど、守るべきものがある人は強い。
もう「会社員」ではないことを悟っていたので、独立する道を色々と模索。まずはフランチャイズで始められる事業を調べ、清掃業を発見。
「清掃業を始めて、何年後かを想像したとき、大成功しすぎている自分が見えたから、その道は止めた。」
見えない未来が欲しかったのか、天邪鬼か、意地っ張りなのか…
それがプー太郎の選択。
お父さんやお兄さんが農家をしていたこともあり、時間があるので畑に足を運ぶことも増え、「俺、農家に片足突っ込んでるな…」となったタイミングがあったそう。
まずは、畑を始める土地を譲ってもらうための交渉からスタート。地主の方に連絡し、顔を合わせる。「そっくりだね…」とお母さんの面影に涙する地主さん。小さな町の密度感のあるエピソード。何度かの話し合いののち、交渉成立となる。
嘉手納で多く作られているびわを作り始めることからハルサー(畑人)生活がスタートした。



お父さんをはじめ、又吉さんの畑の周りの多くの農家さんたちがびわを育てていた。実は嘉手納町はびわの栽培が盛んで、友人には「給食にも出てたよなーって言われるんだけど全然記憶にない」と。給食にも出るほど、でも記憶に残らないほど生活に馴染み、こつこつと嘉手納町での歴史を積み上げていたびわの栽培から農業に向き合うことになる。
前述の通り、嘉手納町に畑を広げる土地はそんなに多くない。それでも畑を始めるなら嘉手納町と決めていた。生まれ育った町。
「嘉手納町の農業にどれだけ夢をもたせるか」「嘉手納で畑って言ったら”またよしファーム”ってなりたい」「そして、一番は嘉手納を面白くしたい」と語った又吉さん。
その野望に、地元への貢献欲、還元欲、そして愛着が滲んでいた。
手探りでいろいろなものを育てていく。勉強会にも積極的に参加し、知識を深め経験を積んでいく。トライアンドエラーの繰り返し。
「無農薬でやってるから売れると思うさ?でもそれを掲げたところで売上に比例するわけじゃない。無農薬には外国人の方が反応してくれてる。日本人はどちらかというと見た目が大事。」「あとは出店するお店によっても手に取られるものがぜんぜん違うから興味深いよ。」
卸すことのできる農作物が増えるたび、反応の違いに面白さを感じるとも話してくれた。
プー太郎、紙一枚で農家になる。
自身の農作物が商品としてお客様の手に渡ったときがそうなのかな…と思い、農家を名乗れると思えたのはいつなのか尋ねると「開業届さえ出せばなれるからな、農家…」とあっさり。事実なんだけど…No.1を目指すハルサーのドライな一面に笑ってしまった。
開業初期の頃、近くのJAに卸した商品はパクチーだった。「商品が売れたらメールで連絡が入りますと言われたんだけど、全然連絡なくて。値段設定間違えたかなーとか、そもそもパクチーが2軍過ぎたかなーとか色々考えてドキドキして待ってて。待ちきれなくて、売り場見に行ったら完売しててさ。えーーーーって。連絡用のメールアドレスが間違ってただけだった。」と笑って当時を振り返る。
「よかったーって。売れたーって。嬉しかったね。」
あるとき、納品先で商品を並べていたときにお客さんに声をかけられたことがあった。
「どの商品がいいとか、どこ見たらいいとか、そんな話をしていたら、次々とお客さんがよってきて。ついには、自分の商品以外も勧めててから。営業の時の血が騒いで15分で3万円くらい売れてしまって。自分でもびっくりした。」
自分の育てた農作物を手に取る人と話す機会ってそんなに多くないから楽しかったと話してくれた。
本人は至って面白おかしく話していたけど、経験や知識がないとできないこと。こういう人の作る野菜や果物を手に取りたいと思わせるエピソード。
開業届を出したことから始まった農家としての道。そこに付随する感覚や感情。
そして、広がる夢。
死ぬほど食べて死ぬほど動く!いつか嘉手納町のふるさと納税の返礼品に。
末永くハルサーとして生きるためにやっていることを伺うと、週1回のバスケットと整体をあげてくれた。筋トレ、ストレッチ、メンテナンスを欠かさず行っているそうで「死ぬほど食べて死ぬほど動く!」驚くほど単純。その精神でまたよしファームは突き進んでいる。
今後の展望を伺うと、「畑を広げたいのが一番だけど、嘉手納の土地はやっぱり限りがある。それでも嘉手納で農業をやり続けたい。嘉手納町のふるさと納税の返礼品にも参加したいし、嘉手納町の特産品も作りたい。」
年間50品目は新しいものを育てると決めて、挑戦を続けている。メジャーなもの、マイナーなもの。手に取られる野菜は大体決まっていて、売上を考えれば売れるものがいいけど、作りたいものを作りたいという欲もある。
現在はびわをはじめパイナップルに島バナナ、梅、パッションフルーツ、マンゴー、ドラゴンフルーツ。島唐辛子にハラペーニョ、ニンニク、玉ねぎ、トマト、オクラ、とうもろこし…
「そのうちアボカド王になるから!」とも話してくれた。
子どもにはちっちゃいと笑われた夢だけど…
「嘉手納でNo.1の畑人になる。」
その夢は始まったばかり。
嘉手納町のハルサーとしての道はこれからどんどん広がっていく。
またよしファームの卸先
・リトルガーデン(かでな道の駅)
・JAゆんた市場
・JAちゃんぷるー市場
・ハッピーモア市場
・うるマルシェ
夏休み、又吉さんにお願いして地元の友だちの子供達、浅草の野球少年とともに畑の見学をさせていただきました。





































